リレーエッセイ
第3回 ハンガリー系マイノリティ研究の舞台裏:質問紙調査について
神原ゆうこ
外国の社会を研究しているというと、たまに「アンケート調査とかをするのですか?」という反応を得ることがある。文化人類学者である私は、「現地語でインタビューをしたり、集まりを見学させてもらったりしています」と説明するのだが、最近、質問紙調査(アンケート調査は、社会学的には質問紙調査と呼ぶ)に取り組む機会を得た。そこで、外国での質問紙調査に至る経緯とその実施について紹介したいと思う。文化人類学という学問は、現地フィールドワーク調査で質的なデータを集めて研究を行うという特徴がある。比較的少数の人々の濃いデータを重視するので、大きなサンプルサイズを必要とするものの、質問紙で尋ねたこと以上のことを追跡しにくい質問紙調査には、これまであまり縁はなかった。
ハンガリー学会会員であるが、もともとスロヴァキアをフィールドとした文化人類学者である私は、スロヴァキア南部に居住するハンガリー系マイノリティの人々の研究を行っている。2010年に博士論文を仕上げて、その次のテーマを模索していた頃に、スロヴァキアとハンガリーの歴史的民族共生をテーマにした研究プロジェクトに関わったことが始まりであった。ハンガリー系コミュニティの中心人物は、スロヴァキア語を問題なく話すので、インタビュー調査だけならば、スロヴァキア語だけで研究を進めることは、一応は可能だった。しかし、ハンガリー系の人々同士の日常会話はハンガリー語であるので、それを聞き取れないと、文化人類学者にとって重要な参与観察がうまくできないという問題にすぐに直面することになった。人間の社会生活全般に関心を持つ文化人類学者にとって、対象者の社会を知る方法はインタビューだけでない。人々が、実際にどう行動しているか、また話したことと行動にどのような齟齬があるかも重要なてがかりとなる。例えば、「**という行事に皆関心を持っている」と言われたものの、実際にその場に行ってみると、主催者を中心とした数人しか集まっていないということは、珍しいことではない。
ハンガリー語とスロヴァキア語は全く異なる言語であるが、2016年から2017年にかけてハンガリーの大学で客員研究員をする機会に恵まれたので、本格的にハンガリー語も学習し始めた。スロヴァキアへはハンガリー滞在中も定期的に通っていたが、この期間は、ハンガリーに住むハンガリー人にスロヴァキアのハンガリー系を紹介してもらう機会が増えた。そこで初めて、スロヴァキア語を話す私が自分でアポイントをとって出会ってきた人々と、ハンガリーのハンガリー人に紹介された人々はどうも違うタイプの人々であることに気が付いた。それまでは、マイノリティとしての権利に強い関心を持つ人々を除いて、「ハンガリー語は第一言語だけど、スロヴァキアで生まれ育ったから、ハンガリーにはあまり縁がない」という人々が私の周りにいた。しかし、ハンガリーに住んでいたときに紹介されたハンガリー系の人々は、どちらかといえばハンガリーとのつながりが深い人々だった。質的調査では、調査者の属性や立ち位置が変わると得られるデータの種類が変わることは珍しくないので、研究者はそのことを考慮にいれてテーマを設定する。そのことを理解していたつもりだったが、同じ町のなかの異なるタイプのハンガリー系の人々の集団に接したことで、包括的な把握に興味を持ち始めた。
前置きが長くなったが、このような経緯で質問紙調査に関心を持つようになった。ちょうど民族共生の研究プロジェクトが終わるころ、政治的境界が変動する地域に住む人々についての研究プロジェクトに加わることになり、日本で量的調査の経験がある社会学者とともに、ハンガリー系マイノリティの人々の調査を続ける道が開けた。とはいえ、自分が取り組んだことのない研究手法に新たに取り組んでみるということは、思った以上にあらたな事実の発見であり、外国で質問紙調査を行うことの難しさを実感することになった。
社会学的に信頼のおける質問紙調査を行うには、代表性を担保するために、ある程度の数の質問紙を当該集団にランダムに配布する必要がある。当該集団が小規模であれば、全数調査も有効である。スロヴァキアで調査を実施するにあたって、最初に直面したのは、教育現場か小規模集落で全数調査をするのでなければ、信頼に足りうる調査をしにくいという現実であった。というのも、日本は住民基本台帳を使ってランダム・サンプリングができるが、スロヴァキアにはそれに該当するものがないからである。
マイノリティ社会を包括的にとらえたいという思いで量的調査に取り組もうとしたのに、質的調査でも調査可能な集団を対象とするのは、避けたいと考えた。したがって、現地の社会学者や日本の共同研究者との相談を重ね、調査会社に委託して、南部の地方都市コマールノでの質問紙調査を実施することにした。2018年にGDPR(EU一般データ保護規則)が施行されてから、個人情報が含まれた調査票原本をEU域外に持ち出すことは、そもそもリスクが高い行為となっており、近年の状況の変化も考慮に入れる必要があった。
これまでの研究で、質問紙調査に基づいた研究の報告書を目にする機会はたびたびあった。これらの調査のなかには、調査会社に委託されて実施されたものも多く含まれている。しかし、クォータ・サンプリングという日本の社会学ではあまり行われていないサンプリング法が基本とされていたことには気が付いていなかった(日本で主流であるランダム・サンプリングは国際比較調査等で特別に依頼されたときにしか行わないため、非常に高額になると説明された)。これについては、分析の段階で工夫が必要だと共同研究者と相談している。
なお、この調査は本来であれば、2020年の秋に実施する予定であった。2020年の春から現地渡航が厳しくなってきたため、メールで実施についての最終打ち合わせをし、契約も済ませたところで、スロヴァキアのコロナウイルス感染拡大が深刻化しはじめたため、昨年度末の段階で一旦契約破棄することとなった。スロヴァキアの感染拡大は2021年の4月になってやっと落ち着き始めた。これから再度契約書を結び直して、2021年は実施可能となることを期待したい。
第2回
ハンガリーと感染症(家田修)[PDFファイルが開きます]
第1回
オルバーン政権と新型コロナウィルス
荻野 晃
2020年3月9日から18日まで出張でブダペストに滞在しました。新型コロナウィルス(COVID-19)について、昨年12月上旬に出張の日程を決めた時点で、私は存在すら知りませんでした。2020年に入って中国で感染が拡大した当初、欧州では遠い海の向こうの出来事のようでした。しかし、2月以降にイタリアやフランスで急速に感染が拡大すると、状況が一変しました。3月初めには、ハンガリーでも感染者が確認されました。
私がブダペストへ発つ時点で、ハンガリーでの感染者はまだ一桁台にとどまっていました。だが、出発間際にブダペストのホテルから日本人の団体客がコロナウィルス感染の疑いで、医療機関に搬送されるニュース(検査結果は全員陰性)が伝わると、周囲から心配する声が挙がりました。勤務校の出張担当の職員から「本当に行かれるのですか?」と、出発の前々日に確認の電話がありました。ちなみに、日本人の団体客が滞在していたのは、メルキュール・コロナ・ホテルでした。私としては、シェンゲン協定加盟国への入国審査が少し厳しくなったり、街中でアジア人への視線が冷たくなったりする程度だと認識していました。
私がブダペストに到着した頃、オルバーン首相は西欧諸国でのコロナウィルスの感染拡大に警戒感を強めていました。3月11日にハンガリー政府は感染拡大を防止するために非常事態を宣言しました。しかし、最初の数日間はイタリア、中国、韓国、イランからの外国人の入国禁止、大学の休講、図書館、美術館、博物館などの休館くらいの措置でした。実際に、まだ街中で中国系移民以外にマスクをしている人はほとんど見かけませんでした。ただ、3月13日に国立公文書館が閉まったのは、私個人としては痛かったのですが。
しかしながら、3月15日の1848年革命記念日の後、街中に変化が生じました。祝日明けに、現地で購入した古書、新刊書を送るため郵便局へ行くと、窓口の数しか局内に人を入れないようになっていました。同様の措置は、処方箋薬局でも取られました。路線バスでは、運転手の感染防止のために、最前列の座席にテープを張り、一番前のドアからの乗客の乗り降りが禁止されました。さらに、マクドナルドなどのファストフード店は、テイクアウトのみの営業となりました。街では、少しずつマスクをつけた人の数が増えていきました。
3月15日の夕方、帰国の際に乗る予定のウィーン行きが欠航になる連絡が入ってから帰国前日の17日まで、3回にわたり帰国便が変更になりました。欧州の主要都市を結ぶフライトの多くが運休し始めていました。18日の夕方、羽田行きに乗り換えるフランクフルト空港に着くと、一部のドリンク・バーを除き、すべての店が休業していたのには驚きました。長崎に戻ると、4月2日まで14日間の自宅待機を余儀なくされました。日本政府が欧州からの帰国者に14日間の自宅待機を要請するなど、出発前に想像もできませんでした。
次に、私が帰国した後のハンガリーでの新型コロナウィルスへの対策、感染状況について述べます。欧州連合(EU)の政策執行機関である欧州委員会(EC)やEUの立法府にあたる欧州議会(EP)は、先述のオルバーン政権による非常事態宣言に批判を強めていました。2010年にオルバーンが首相に復帰した後、EC、EPでは彼の強権的な政治手法に批判が高まっていました。とくに、2015年の欧州難民危機以降、ハンガリーは難民の受け入れをめぐってECとの対立を繰り返してきました。コロナウィルス対策でオルバーンの強引な統治姿勢がさらに強まり、人権侵害や極端な私権の制限につながるのをEC、EPは懸念したのです。3月30日にハンガリー国会で非常事態法が成立し、外出制限に従わなかったり、感染防止策を妨げるフェイクニュースを流したりした場合に禁固刑を科すことが可能になりました。3月28日に出された外出制限は、4月11日に無期限に延長されました。Századvégの世論調査によれば、有権者の91%が外出制限の延長を支持したそうです。世論調査といっても政権に批判的な報道が難しい状況なので、ある程度、結果を割り引いて受けとめるべきですが。
オルバーン政権の早めの対策もあって、ハンガリー国内での感染者は隣国オーストリアをはじめとする西欧諸国と比較すれば少数にとどまっています。(4月23日現在、感染者2,284人、死亡者239人)。しかしながら、ブダペスト市内の高齢者施設で集団感染が発生するなど、65歳以上の高齢者の死亡が増加しています。さらに、西欧と比較して分母(感染者数)が小さいため、欧州諸国の中でのハンガリーの致死率は、爆発的な感染拡大が起こったイタリア、スペイン、フランス、英国に次ぐ高い比率です(4月23日現在、10.5%)。
コロナウィルス感染防止をめぐっては、世界中で人の国際移動の制限、とくに外国人への厳格な入国管理が実施されています。1990年代以降にヒト、モノ、カネ、サービスの移動の自由を促してきたグローバリゼーションが、皮肉にもウィルスの移動の自由までもたらしたのです。とくに、コロナウィルス対策では、域内の単一市場を形成してきたEUの存在感が低下しています。現在、オルバーンはイギリス離脱(Brexit)後のEU内部におけるパワーバランスの変化への対応を模索しており、難民問題への対応と同様にコロナウィルス対策も国内基盤の強化につなげようとしているのでしょう。国民の生命を守るのは、最終的に主権国家であると強調することによって。